
【ジョーカー】2019年公開アメリカ映画。世界一有名なヴィラン(悪役)はどうやって生まれたのか。その誕生の秘密が明らかになる。
目次
映画情報
第79回ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門にてDCコミックス映画化作品としては史上初、最高賞の金獅子賞を受賞。DCコミック伝説のヴィランの過去を映像化した衝撃のスリラー映画。
主演ホアキン・フェニックスが命がけで挑んだその演技は圧巻。「キャリア史上最高の演技」と評された演技を堪能せよ。
この映画を観終わったときあなたの中の倫理感は崩れる。
キャッチコピーは「本当の悪は笑顔の中にある」
原題:Joker
上映時間:122分
監督:トッド・フィリップス
脚本:トッド・フィリップス
出演: ホアキン・フェニックス(ジョーカー/アーサー)、ロバート・デ・ニーロ(マレー)、ザジー・ビーツ(ソフィー)、フランセス・コンロイ(ベニー)、ブレッド・カレン(トーマス)ほか
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※ここからはネタバレを含みますので鑑賞前の方は気をつけてください。
映画『ジョーカー』は、バットマンの宿敵であるヴィランの誕生秘話という枠組みを借りながら、格差社会、精神疾患、そして「悪とはいかにして生まれるのか」という重いテーマを突きつけた衝撃作です。ホアキン・フェニックスの圧倒的な演技が描いた、アーサー・フレックという一人の男が崩壊し、狂気のアイコンへと変貌する過程を深く考察します。
1. 「笑い」という名の悲鳴:アーサーの病理
アーサーが抱える「緊張すると笑いが止まらなくなる」という疾患は、本作において極めて重要なメタファーです。
彼の笑いは喜びの表現ではなく、内面の苦痛や恐怖が限界に達したときに溢れ出す、いわば**「魂の悲鳴」**です。社会は彼のこの「叫び」を理解しようとせず、ただ不気味なものとして排除、あるいは暴力で黙らせようとしました。
彼が書いたノートの言葉、「精神疾患の最も辛いところは、周囲から『病気ではないように振る舞え』と強要されることだ」は、現代社会における不寛容さと、弱者が強いられる「正常さ」という名の仮面への痛烈な批判です。
2. 妄想と現実の境界線:階段のシーンの意味
本作には、アーサーの主観(妄想)と客観(現実)が入り混じった描写が多用されます。隣人ソフィーとの恋仲がすべて妄想であったと判明する瞬間、観客は「これまで見てきた景色のどこまでが真実なのか」という不信感に突き落とされます。
特に印象的なのが「階段」の演出です。
前半: 重い足取りで階段を登るアーサー(社会の底辺で苦悶する姿)。
後半: 派手なスーツを纏い、軽やかにダンスを踊りながら階段を降りるジョーカー。
この「降りる」という行為は、理性の崩壊と狂気への転落を意味していますが、アーサー自身にとっては、重苦しい現実から解放され、ようやく「自分自身になれた」という至福の瞬間として描かれています。
3. 父性の不在とトーマス・ウェルズという壁
アーサーは自身のルーツを求め、富の象徴であるトーマス・ウェルズに父親の影を追います。しかし、そこで突きつけられたのは「母の妄想」という残酷な真実と、エリート層からの冷徹な拒絶でした。
幼少期の虐待の記憶と、心の拠り所だった母親の嘘が判明したとき、アーサーを現実世界に繋ぎ止めていた細い糸は完全に断ち切られます。彼が母を殺害したことは、彼の中の「息子(被害者)」というアイデンティティを殺し、完全な「ジョーカー(加害者)」へと脱皮するための儀式でした。
4. マレーの番組:公開処刑から「革命」の舞台へ
コメディアンを夢見たアーサーにとって、マレーの番組は憧れの聖域でした。しかし、マレーはアーサーの失敗を嘲笑のネタにし、彼を「笑いもの」として消費しました。
ラストのスタジオでの惨劇は、自分を蔑んできたエンターテインメント(支配階層)に対する血塗られた復讐です。「僕の人生は悲劇だと思っていたが、実は喜劇(コメディ)だった」という悟りは、道徳や秩序が崩壊した世界において、自らが混乱を司る主役になるという宣言です。
5. 悪のアイコンとしての誕生と「鏡」としての観客
エンディングで、暴動が起きるゴッサム・シティのただ中で、パトカーのボンネットに立ち上がるジョーカー。彼は自ら革命を先導したわけではありません。単に「自分を無視した世界」に怒りをぶつけただけですが、その姿が社会に不満を持つ民衆にとっての「神」となってしまいました。
この映画の恐ろしさは、ジョーカーという怪物を生み出したのが、他ならぬ「私たちの無関心」や「冷笑的な社会構造」であることを突きつけてくる点にあります。ジョーカーはアーサーの狂気であると同時に、社会の歪みが生み出した鏡像なのです。
結論:喜劇として終わる悲劇
『ジョーカー』は、最後にアサイラム(精神病院)で笑うアーサーの姿で幕を閉じます。すべてが彼の脳内の物語だった可能性すら示唆されますが、それすらも重要ではありません。
重要なのは、一人の男が「優しくあろう」とすることを止め、世界を「笑い飛ばす」ことに決めたその瞬間に、取り返しのつかない何かが壊れてしまったという事実です。救いようのない絶望の中で、血でピエロの笑顔を描く彼の姿は、21世紀の映画史に刻まれる最も美しく、最も醜い悪の誕生シーンと言えるでしょう。

稀代の殺人鬼が誕生した瞬間!
きっと最後のカウンセラーの人も殺されたのに、踊りながら出てくるジョーカーのとりこになっている自分に驚く。
素晴らしい監督と役者は他人の倫理感もくつがえせるんだと感心した。
~観終わったあとの感想~

映画「タクシードライバー」を彷彿とさせる陰鬱さ。それでいてホアキン・フェニックスの渾身の演技に目が離せませんでした!
ジョーカーゲージがみるみる溜まっていくのがとても面白かったです。そこが他の鬱映画とは違う見どころかなーと思います。
来るぞ‥来るぞ‥と思いながら観ていて、確実に「あ!いまジョーカーになった!」って瞬間がわかるのがたまらなかったです!みなさんが思ったジョーカーになったって瞬間はどこでしたか?
個人的にはアーサーが上半身裸で鏡に向き合っていた時が一番ジョーカーに切り替わった瞬間だと思いました!
‥あれ、これジョーカーになってない?‥これもうアーサーじゃないよね‥?もうこれ確実にジョーカーでしょ!って感じで興奮が止まらなかったです。
あのガリガリの体からかもし出される狂気のオーラは観ているこっちの神経がもたないってくらいヤバかったです。
あとホアキン・フェニックスのたばこをふかすシーンはひざが震えるほどカッコよかったですねー。自分の中では今回のホアキン・フェニックス版ジョーカーは殿堂入りしていたヒースレジャー版ジョーカーを超えていたように思えます。それくらい神がかった演技だと思いました。
一部の意見としてこんなのジョーカーじゃないという人の気持ちもわかります。年齢、出自、正体が一切不明なのがジョーカーの魅力のひとつなのにそれを明らかにするなんてという声もあるそうです。
今回の映画はそんな禁断の聖域に踏み込んだ挑戦的な映画だったんだと思います。周りからのプレッシャーもすごかったでしょうね。DCコミック最高のヴィランですからね。これでこけたらただじゃ済まないぞって視線をびしびし感じていたんではないでしょうか。
だからこそ監督や役者も一丸となって良い作品にするぞと力を出し合った結果、渾身の快作「ジョーカー」が生まれたのではないでしょうか。
残念ながら今回の映画「ジョーカー」は単独のみの作品となっています。続編やバットマンとの絡みは今後もないそうです。トッド・フィリップス監督自身も他の映画とは一切関わりのない単独の映画であり、続編も作る気はないとインタビューで答えていたそうです。
しかし、ここまでの高評価、金獅子賞受賞、興行成績も抜群に良いときてますから、もしかしたら今後続編や他DC作品とのコラボに舵を取ることもあるかもしれません。
個人的には、伝説は伝説のまま終わってほしいと思う気持ち半分、もっとホアキン・フェニックスのジョーカーが観てみたいという気持ち半分でかなり複雑な気分ですが、あまり悩んでいても仕方ありません。(悩みすぎると自分の中のジョーカーが裏返るかもしれませんし笑)
いちファンとしては今後の展開に静観しながら期待したいところです。

ホアキン・フェニックスの渾身の演技は魂が揺さぶられる凄みがあった!
まだ観ていない人は絶対観た方がいいと思える作品だったよ!
ありがとう!ホアキン・フェニックス!




