『千と千尋の神隠し』には様々な都市伝説や裏話が存在します。その中でもひと際、話題に上がるのが千尋の危機を度々救ってくれたハク。
優しく賢く、紳士的でいつも千尋を思ってくれているあのかっこいいハクにどんな裏話があるのでしょうか。ハクのプロフィールや性別、千尋の兄説から八つ裂き説まで解説していきます。
目次
ハクの性別は男の子?女の子?
ハクの性別は男です。公式設定にも「少年」と明記されているので間違いないでしょう。
千と千尋の神隠しに登場する少年ハクは「コハク川」という河の主であり、龍神なので本来であれば性別はありません。
ただ、神道や日本神話の中には性別がはっきりと分かれている神様が存在します。
ハクのモデルとなった「邇藝速日」は男神なので、ハクの性別も男の子であると考えられます。
ハクの年齢は12歳?
ハクの実年齢は河が誕生してから数えるので実際には100歳を超えていると言われています。ただ人間の姿をしたハクは少年の外見をしています。ジブリ公式設定には「12歳くらいの少年」と書かれているので、人間としての年齢は12歳とみて間違いないでしょう。
ハクは男娼だった?
なぜ、100歳を超える河の主が12歳の少年の姿をしているのか、ちょっと不思議ですよね。
個人的な考察になりますが、私は油屋のモデルが夜のお店だったからだと考えています。つまりハクは男娼の役割を果たしていたから少年の姿をしていたということです。
『千と千尋の神隠し』の中で実際にそういったシーンはありませんが、油屋が暗に遊郭(風俗店)であることは宮崎駿監督のインタビューからも読み取れます。また、油屋を訪れる神々がどちらかというと男性寄りの見た目をしていることも油屋が遊郭であることの説得力を増しています。
『宮崎駿インタビュー抜粋』
もともと日本は、性に対してあっけらかんとしたものでしたから。ヨーロッパ人から、なんて貞操観念がないんだと呆れられて性道徳を押し付けられるまではね。何もそれを復活しようと言ってるわけじゃないんですが、いまの世界として描くには何がいちばんふさわしいかと言えば、それは風俗営業だと思うんですよ。日本はすべて風俗産業みたいな社会になっているじゃないですか。
今の時代では考えられないことですが、世界的に男娼の歴史は古く、古代ヨーロッパや江戸時代においても男娼は存在していました。
そして男娼の中で最も好まれていたのが10代の少年です。ハクがなぜ12歳の少年の姿をしていたのか公式では名言されていませんが、こうした背景を踏まえると『千と千尋の神隠し』の油屋で働くことの重みを感じますね。
あまり信じたくない考察だな。
ハクの正体は河の主だった?
ハクの正体は「ニギハヤミコハクヌシ」と呼ばれる河の主です。本作で千尋を背に乗せ、油屋に帰っていた道中に判明しました。
千尋が昔、ハクと会っていたことを思い出し、「あなたの名前はコハク川」と言ったことでハクは自分の名前を思い出します。
「コハク川」とは幼いころ千尋が住んでいた家の近所にあった川のことです。千尋はここで一度おぼれたことがあり、「コハク川」の主であるハクに助けてもらったことがあったのです。
日本神話や八百万の考え方では、川は長くどこまでも続いている見た目から龍神が主であると考えられてきました。
ハクは千尋と同様、湯婆婆との契約によって名前を奪われ、自分自身が何者であるか忘れていたのでした。
ハクのモデルは実在する古典神話だった
ハクこと「ニギハヤミコハクヌシ」は実在する古典神話(古事記や日本書記)がモデルとなっています。
「ニギハヤミコハクヌシ」は漢字で書くと饒速水小白主となります。
これは、古典神話にある「ニギハヤヒ」という神様がモデルであると言われています。
「ニギハヤヒ」は漢字で「饒速日」と書きます。なんとも難しい感じですが、日本書記の中で「ニギハヤヒ」はこう記されています。
『日本書記』より
その昔、初代神武天皇は国を治めるのにふさわしい土地を求めて、九州から大和地方にやってきた。そこでナガスネヒコという豪族と戦い、勝利する。
ニギハヤヒはナガスネヒコが主として奉る神様だったが、戦いに勝った神武天皇の前に姿を現し、神武天皇への忠誠を誓い、従うことを伝えた。
ハクのモデルはこの日本書記に登場する「饒速日」だったのです。また、ニギハヤヒには様々な都市伝説があり、宇宙人であった説や龍神を操る縄文の王であったなど多くの説が存在しますが、『千と千尋の神隠し』のハクとはあまり関係がなさそうですね。
ハクの声優役は誰?
ハクを演じた声優は入野自由さんです。
入野自由さんは、ハクのほかに『キングダムハーツ』で主役のソラを演じたり、『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』で主人公の宿海仁太を演じたことでも知られています。
声優だけでなく、ドラマや舞台など役者としても活躍中で大人気の声優です。『千と千尋の神隠し』のハク役は入野自由さんが13歳の時、オーディションで決まったそうですが、子供ながらにジブリの大作に出演することに緊張感を抱いたようです。
これからもずっと応援していきたい!
ハクは人間?妖怪?神様?
謎の美少年ハクですが、その正体は、コハク川と呼ばれる河の主でした。「ニギハヤミコハクヌシ=饒速水小白主」という本当の名前を思い出したハクは湯婆婆の呪縛から解き放たれ、自分自身が何者か思い出したのでした。
しかしここでひとつ疑問があります。ハクが何者であるかはわかったのですが、分類的にはハクは人間なのか?妖怪なのか?神様なのか?それとも別の何かなのかということです。
その疑問を解消するために、ハクの本名を一文字ずつ読み解いてみました。
- 饒⇒豊かにする、十分に
- 速水⇒速く流れる川の水
- 小⇒小さい
- 白⇒清くけがれの無い
- 主⇒中心となるもの、あるじ
つまり、ハクは「豊かな流れの速い清流の河」の主ということになります。
河の主である龍神はその名の通り、八百万の神として奉られていることから、日本古来の考え方では、ハクは神様となります。
しかし、『千と千尋の神隠し』の劇中ではこのコハク川はマンション建設のため、埋められています。ハクは河の主ではなくなり、本来の力を失っている状態なので、正確には「元神様」になります。神様ではなく元神様なので、ハクはどちらかというと妖精や精霊に近い存在なのではないかと思われます。
ハクはなぜ油屋に捕らえられていた?
ハクの過去について本作ではあまり多く語られていませんが、劇中で釜爺がこんなことを発言していました。
釜爺のこの言葉でハクが自らの意思で油屋を訪れ、湯婆婆に弟子入りしたことがわかります。その後、湯婆婆との契約によって名前を奪われ、都合の良いようにこき使われていたということになりますね。
ではなぜハクは魔法使いになりたかったのでしょうか。その理由は大きく分けて3つあると言われています。
ハクが魔法使いになりたかった3つの理由
- 魔法で自分の川を復活させるため
- 魔法で龍の姿を取り戻すため
- 神様としての力を取り戻すため
理由➀魔法で自分の川を復活させるため
理由のひとつめは魔法使いになり、自分が元居た川を復活させるためです。
ハクは元々、「コハク川」というところに住まう川の主でした。しかし、マンション建設にともなう工事でコハク川は埋められてしまいます。居場所を失い、放浪していたハクは油屋にたどり着きました。そこで湯婆に弟子入りすることで、魔法の力を使い、コハク川を復活させようと考えていたという説です。
ただ、魔法の力でどのようにコハク川を復活させるのかは不明です。洪水を起こし、マンションを倒壊させるのでしょうか。ハクの穏やかな性格上、乱暴な行動を取るとは考えられないので、この説はあまり有力ではない気がします。
理由➁魔法で龍の姿を取り戻すため
ハクは劇中で度々、白龍の姿に変身していましたが、これは一時的な力だという説があります。湯婆婆に弟子入りしたことで魔法を扱えるようになったハクは短時間だけ龍の姿に戻れることが可能になりました。そして正式な魔法使いになり、元の姿を取り戻すことが目的という説です。
理由➂神様としての力を取り戻すため
コハク川が埋められたことで、神様としての力を失ったハクが元の力を取り戻すためというのが最後の理由です。個人的にはハクが龍の姿や力にこだわっていたようには見えなかったので、正直どの理由もしっくりこなかったです。
私としては川を追い出され、放浪していた元神様のハクにとって湯婆婆の魔法の力がとてもまぶしく見え、生きる目的を見つけたように思えたのではないかと考えています。
ハクは千尋の兄だったって本当?
『千と千尋の神隠し』の都市伝説のひとつにハクが実は千尋の兄だったのではないかという話があります。
幼いころにコハク川で溺れた千尋は、兄に助け出され、それによって兄は亡くなってしまったというものです。この話がファンの間に広まったのにはいくつか根拠があります。
ハクが千尋の兄である3つの根拠
- 千尋のお母さんが不自然に冷たかった
- エンディングの子供の手が千尋の手ではなかった
- 幻のテーマ曲の歌詞に秘められた意味深なメッセージ
根拠➀千尋のお母さんが不自然に冷たかった
『千と千尋の神隠し』の千尋のお母さんって何か千尋に対して冷たくないですか?
千尋がお母さんにくっつこうとすると、「あまりくっつかないで」とあしらったり、お父さんとは仲良く会話しているのに、千尋と話すときは目を一切見ていなかったり・・・。
そういうお母さんと言えばそれまでなのですが、この不自然な冷たさにジブリファンからは疑問が沸き起こっていました。『千と千尋の神隠し』は少女千尋が両親を助けるために奔走するお話です。だとすると、助けられるべき存在の両親は優しく千尋を思いやる両親であるべきです。そのほうが話の深みが増しますし、助かって良かったと思えるのですが、なぜが母親は千尋に冷たく接しています。
これには過去のいきさつが関係しているのではないでしょうか。つまり、幼いころに千尋が川でおぼれていたところを兄が助けに入り、代わりに亡くなってしまったから、母親は無意識に千尋を遠ざけてしまっていたのではないかということです。
兄が亡くなってしまったのは事故であり、仕方のないことと割り切っているつもりでも、その原因となった千尋に対して心の内ではまだ許し切れておらず、冷たく対応してしまっている母親。これなら不自然に千尋にだけ冷たい理由にも筋が通ります。
根拠➁水面に手を伸ばす手が千尋の手ではなかった
終盤の一コマ、川で小さな靴が渦巻いているところに手が伸びて、水面に何かを掴むように入っていくシーンがあります。これは千尋を救おうとした兄が伸ばした手だったのではないかという話があります。
千尋の手とは違い、普段、和装をしているハクの手とも違う、洋服を着た子供の手が映っています。このシーンは幼いころに千尋が川で溺れて誰かに助けてもらったことを思い出す場面です。
YouTubeで公開された岡田斗司夫氏による解説動画では、絵コンテも紹介されており、ハクが千尋の兄だったという根拠がわかりやすく解説されています。
衝撃的な内容ですが、ジブリ内部を知る岡田斗司夫氏ならではの考察はさすがとしか言えず、息を飲む内容でした。
岡田斗司夫氏が公開した絵コンテ
こうしてみるとこの手は子供ながらにしっかりとした意思を持って水面に手を伸ばしています。それは幼い千尋の手ではなく、千尋を救い出そうとする兄の手のように見えますね。
また、ここからは個人的な考察になりますが、ハクが幼い千尋を助けたことを暗示する場面はもうひとつあります。それが下の画像です。
この画像を見るとハクは龍の姿で千尋を助けています。それは兄が川に手を伸ばし、千尋を探したが見つからず、代わりに溺れてしまったこと、その間にハクが龍の姿で千尋を救い出していることを表しているようにも見えます。
- 千尋がコハク川で溺れる
- 兄がそれに気づき、川に手を伸ばす
- ハクが龍の姿で千尋を助け出す
- その間に兄が溺れて亡くなってしまう
その後、ハクは兄を救えなかったことに罪悪感を感じ、兄の身体に乗り移り、千尋を覚えていたという考察です。
そうであれば、河の主であったハクがなぜ12歳の少年の姿をしていたのか筋が通りますね。これは受肉というもので、上位の存在が現世に現れるために行われる儀式として知られています。ハクが不思議の町で千尋を覚えていたこと、親身になり、何度も危機を救ったことにこういった経緯があったとするならば、なんとも切ない話です。
もちろんこれはただの個人的な考察です。あの子供の手がハクで、千尋を掴んだのち、龍に変化して川から救ったとしても辻褄は合います。あくまでひとつの可能性であり、どちらを信じるかは人それぞれです。しかしそんな背景を踏まえて観ると『千と千尋の神隠し』を新しい視点から楽しめるのではないでしょうか。
飛躍しすぎな気もするし、宮崎駿監督ならそこまで考えていそうな気もする。
根拠➂幻のテーマ曲の歌詞に秘められた意味深なメッセージ
最後は、宮崎駿監督が主題歌として作詞した幻のテーマ曲「あの日の川で」です。
「あの日の川で」作詞:宮崎駿
陽のさす裏庭から 忘れかけていた木戸をぬけ
生け垣から影おとす道をいく
むこうから走ってくる幼い子はわたし
砂場の足跡をたどって、もっと先へ
いまは 埋もれてしまった川までゴミの間に水草が揺れている
あの小さな川で、私はあなたに出会った
わたしのクツがゆっくり流れていく
小さな渦にまかれて消える
(中略)
誰かのために生きている私
私のために生きててくれた誰か
私はあの日 川に行ったのだ
私はあなたの 川に行ったのだ
この一説にある「誰かのために生きている私」は千尋のことを指し、「私のために生きててくれた誰か」が兄を指しているのではないかというで説です。
「私のために生きてくれた誰か」とはまさに自分を救い、代わりに亡くなってしまった兄そのものを指しているのではないでしょうか。
「誰かのために生きている私」は千尋が兄に救われた命を全うするため、一生懸命生きているとも取れますし、ハク(兄)のために命をかけて銭婆のもとへ旅立つ心境を語っているようにも思えます。
漫画化された『風の谷のナウシカ』をはじめ宮崎駿監督は壮大な物語をあらかじめ構想し、映像化する際にその一部分を切り取って作品を作り上げるという手法を多く取っています。
ハクが千尋の兄であったか公式の見解では何も明言されていませんが、『千と千尋の神隠し』に含まれる謎や矛盾はこうした考察を取り入れることで筋が通った作品として完成するのはただの偶然のようには思えません。
あらゆる謎や矛盾には伏線があるとすれば、宮崎駿監督という人物の博識さや奥深さに改めて感嘆します。
私たちは『千と千尋の神隠し』を通して宮崎駿監督の頭にある宇宙のように広がる無限の構想のほんのひとつを垣間見ただけに過ぎないのかもしれませんね。
そんな宮崎駿監督ならここまで考えていた可能性もあるかも。
ハクが最後八つ裂きにされたという話は本当?
ハクは千尋とその両親を助けるべく、湯婆婆に交渉をしました。そして湯婆婆はハクにこう言います。
「お前は八つ裂きになる度胸があるか?」
ハクは眉ひとつ動かさず、湯婆婆を見つめます。その後、千尋を連れて戻ったハクに湯婆婆は約束どおり、試練を与え、千尋と両親を自由にするのでした。
『千と千尋の神隠し』公開当時の公式サイトには、ハクの覚悟についてこう記されています。
『千と千尋の神隠し』公式サイト公開当時の解説より
「すべてのことはルールに従わなければならない」という世界観により湯婆婆の言葉通り八つ裂きにされる運命をハクは受け入れている。
この言葉はハクが命を捨て去る覚悟で千尋を助けるという選択をしたことを表したものでしたが、別の方向に一人歩きしてしまいます。それが千尋と別れた後ハクは八つ裂きにされたというものです。
別の部分が強調されたことによって公式サイトではこの文言は削除されました。しかしハクが八つ裂きにされたという噂は広がり、都市伝説となったのでした。
また、銭婆からもらったヘアゴムの輝きはハクの涙を表しているという噂がこの都市伝説に拍車をかけました。
「主人公千尋を守るため、命をかけたハクはその後、八つ裂きにされ、ハクのひとすじの涙はヘアゴムを輝かせた」
なんとも切なくロマンチックな話は、人々の心を打ちこの都市伝説を根強いものにしたようです。
では、実際ハクは本当に八つ裂きにされたのでしょうか。
答えは「八つ裂きにされていない」です。
ハクの罪
まず、ハクの罪についておさらいします。
ハクは湯婆婆の命で双子の姉である銭婆から契約印を盗み出します。そして反撃にあい、怪我を負います。
事情を知った千尋は契約印を銭婆に返し、謝罪することでハクを許してもらおうと旅に出ます。
旅の終点で銭婆に会うことができた千尋は謝罪し、契約印を返しました。銭婆はあっさり千尋とハクを許します。しかし千尋にこう告げました。
「あなたを助けたいけど私は何もしてやれない。それがこの世界のルールだから。彼氏や両親のこともあなたが何とかするしかない。」
ここで重要なのが「この世界のルール」です。『千と千尋の神隠し』の世界では契約は何より重きを置かれる呪いのようなものです。名前を奪われた人間は、その契約に従うことしかできなくなります。
それほどまでに「この世界のルール」である契約は絶対的な力を持っているのです。
その前提から言えば、ハクの八つ裂きは運命であり、受け入れる未来しかありませんでした。しかし、千尋と油屋に帰る道中にハクは自分の本名である「ニギハヤミコハクヌシ」という名前を思い出します。そして呪縛から解かれたハクは人の姿のまま千尋と自由に空を飛び、油屋へと帰りました。
本当の名を思い出したハクは呪縛から解き放たれた
『千と千尋の神隠し』で「契約」以外に重きを置かれているもの、それが「本当の名」です。ハクは自分の「本当の名」を思い出したことで湯婆婆の呪いから解き放たれ、元の力を取り戻しました。
つまりハクは一方的な契約によって支配されることがなくなったので、湯婆婆に八つ裂きにされる運命から回避できたと考えられます。
物語終盤の別れ際、ハクは千尋にこう言います。
「私は湯婆婆と話をつけて弟子をやめる。平気さ、本当の名を取り戻したから。元の世界に私も戻るよ。」
この言葉がすべてを物語っていると思います。本当の名を思い出すとは自由になるということです。湯婆婆との契約が残っているにせよ、本当の名を取り戻したハクならば、奴隷のような契約ではなく、今度は対等な契約にできるはずです。
そのほかにも、
- 千尋によって湯婆婆に仕込まれた呪いの虫は踏みつぶされている
- 成長した坊が湯婆婆に「いいかげんにしなよ」と釘を刺している
- 銭婆に契約印を返したので、契約を一方的に変えることはできない
上記の理由からハクが八つ裂きになっている可能性は低いと思われます。
千尋は最終的に油屋のほとんどの人たちと仲良くなり、絆が生まれています。千尋を自由にした代償にハクを八つ裂きにしたとなれば、油屋内で暴動が起きかねません。敏腕経営者の湯婆婆であれば、それが経営上マイナスになることは重々理解しているはずです。
これらの理由から、千尋と別れた後、ハクが八つ裂きにされている可能性はないと言ってもいいでしょう。
何を信じるかは人それぞれだけど、僕はハクが死んでないと信じたい!
ハクはその後千尋と再会できたの?
『千と千尋の神隠し』劇中では千尋が両親と車に乗ったところで終幕となりました。その後、千尋とハクは再会できたのでしょうか。
そもそも千尋は元の世界に戻った後、油屋やハクのことを覚えていないのでしょうか?
この質問に対して宮崎駿監督はインタビューにて次のように語っています。
『宮崎駿監督インタビュー』より抜粋
自分がやってきたことをきちんと全部覚えている人はいないでしょう。
人の記憶というものは、思い出せないだけでどこかに残っていると思うんです。千尋もどこかにあの世界の記憶を残しているはずです。
この言葉は、千尋が何かの拍子にハクの面影を思い出す可能性を示唆しています。
しかし元々神様だったハクは人ではありません。そのため、通常の再会を果たす可能性は低いと思われます。
ただ、ハクは劇中でも誠実で約束を守ってきた人物なので必ず千尋との再会を果たすはずです。それが、夢なのか、現実なのか、はたまた油屋なのかは神(ハク)の溝知るところですね。
「またどこかで会える?」
「うん、きっと。」
「きっとよ。」
個人的にはどんな形であれ、ハクは千尋に会いに行き、再会を果たすと信じています。
ハクはそういう誠実な神様だもんね。
ハクがアシタカの祖先って本当?
同じジブリ作品でも屈指の人気を誇る『もののけ姫』。
その主人公のひとりアシタカがハクの子孫、つまりアシタカの祖先がハクにあたるという話はご存じでしょうか。
これはそれぞれにモデルとなった人物(神)が血縁としてつながっていたというものです。
アシタカのモデルとなった人物「アシタカヒコ」
日本の建国神話に登場する「アシタカヒコ」が、『もののけ姫』アシタカのモデルとなった人物です。
アシタカヒコは、ナガスネヒコと呼ばれる豪族の子孫にあたり、朝廷に敗れたのち、東に移住してきた末裔と言われています。
ハクのモデルとなった神「ニギハヤヒ」
ハクは、「ニギハヤヒ」という龍神がモデルとなっています。そしてこのニギハヤヒはナガスネヒコの祖先にあたる神とされています。
つまり、ハクとアシタカは偶然か、モデルとなった人物がそれぞれ血縁関係にあったということです。
ニギハヤヒ(ハク)⇒ナガスネヒコ⇒アシタカヒコ(アシタカ)
ただ、物語として『もののけ姫』と『千と千尋の神隠し』につながりはありません。残念ながらモデルとなった人物がそれぞれつながっていたというだけです。
宮崎駿監督は歴史や日本神話の造詣が深い方なので、もしかすると何か関係があるのかもしれませんが、ジブリ公式ではそのような発言は一切ありません。
個人的には、もしハクとアシタカのつながりが伏線であるなら、次はナガスネヒコの物語がジブリ新作で出てくれたら良いなぁと思うばかりです。
信憑性のある話から、トンデモ都市伝説まで注目されるジブリだからこそ色んな噂が出てくるんだね。
「(ハクは)千と同じように突然ここにやってきてな。魔法使いになりたいと言いおってな…」